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突然、愛撫は終わった。
そして、沈黙。
由香里は、京子が口を開くのを戦々恐々と待ち構えていた。
機会をうかがって、由香里の方から京子を問い詰めてやりたい。もっとも、それだけのことをする勇気があればの話だが。
京子は由香里から興味を失ったように目を逸らし、由香里が座っていたクッション席を、ついさっきまで由香里の局部や尻を散々拭ったハンカチで軽く拭き、そのまま階段を下りて行ってしまった。
由香里は唖然としながら、自分の席に戻った。鞄は残されたままだ。
しばらく経ってから戻ってきたとき、京子が手に持っているものを見て、由香里は呆れてしまった。京子の手には、またもや飲物のカップが掴まれていた。それも、二人分だ。
もうこの店に来てから、シェイクにコーラと、飲み物は嫌と言うほど飲んだのでいることは、京子も知っている筈だ。
「はい、これはさっき零しちゃったコーラの分」
片方の手に持ったカップを由香里の前に置く。
「そいでこれが、濡らしちゃったズボンとシャツの分ね」
今度はもう片方の手に持ったカップを、先ほどのカップの隣に置いた。
由香里の目の前に、満杯のカップが二つ並んだ。
由香里は信じられないという面持ちで、京子を睨んだ。京子は悪びれるどころか、わざとらしい作り笑顔を浮かべて、挑むように由香里の目を受け止めた。目には、楽しんでいるような色すらある。
怒りで唇がわなわなと震えるのを、由香里は抑えることが出来なかった。
だが、目の前の相手には、ついさっきまで、指の感触でもって、自分の恥知らずな格好を無言のまま責められたのだ。その弱みもあり、またそのことに触れるきっかけを与えてしまうのを危惧して、由香里は何か言葉を発することすら侭ならない。
「……私、お手洗い行ってくるね」
消え入りそうな震え声を何とか振り絞り、返事を聞く間も置かず逃げるように席を抜けた。顔を俯けて歩きながら、由香里はロッカールームからのみじめな逃走を思い出さずにはいられなかった。自分はまたも負けたのだ……。
***
……逃げよう。
迷いは無かった。
今のような状況となっては、京子の作り上げた口実など問題ではない。彼女は間違いなく敵なのだ。
京子は間違いなく下着を盗んだ悪戯に関わる一人であり、ひょっとしたら、盗んだ張本人でさえあるかもしれないのだ。
その場合、彼女が電話していた相手……今京子がいる座席の残りを埋める相手は、先輩達である可能性が高い。彼女らが群れをなして由香里を囲んだとき……採られるであろう次の一手は、脅迫ではないか。
そう、楠田先輩達が下着を隠したということを証明することは、ほぼ不可能に近いのだ。したり顔で由香里の破廉恥行為について、責め立てるに違いない。
唯一の対抗手段は、脅迫するきっかけさえ与えないことだ。今やるべきこと、それは彼女達から逃げ遂せることだ。
――先輩が来る前に、この場を逃れられれば……。
だが、そんな希望的観測は、扉を開いた瞬間、あっけなく崩れ去った。
***
薄手の黒い服を着た、長身の女がそこに居た。ずっと待ち受けていたらしく、腕組みをして、由香里を真っ直ぐに見つめている。目が合った瞬間、楠田理恵子は無表情な顔をしたまま、口元だけを僅かに歪め、笑った。
背中にさあっと、冷たい汗が流れる。二人はしばらくの間、お互いを見つめあうと、やがて楠田先輩は無言のまま便所を出て行った。
全てはお見通しだ、逃げたら承知しない、と。由香里の逃走を防ぐには、先輩としての威厳で十分という自信の表れでもある。
実際、由香里は逃げ出すことが可能であろう状況にあるにも関わらず、ついにそうすることが出来なかった。万が一、逃げようとする場面を先輩に見つかっら……という、実際的な恐怖もあったが、何より、彼女の目に宿った暗い光の不気味さが、由香里の勇気を萎えさせた。
席に戻ったとき、楠田先輩は由香里の座っていたクッション席に詰めて座っていた。仕切りの隙間から二人を見た時、京子と先輩が声を潜めるようにして、何やら話していたように見えた。
「やっ!」
先輩が男子小学生みたいな砕けた挨拶をした。
そんな先輩を見て、こんな状況だというのに、好ましく無い人物が、待ち伏せしているかのごとく、自分の席の近くに座っている――そんな光景の類似から、由香里は暢気にも小学校時代の家庭訪問を連想した。
「折角だから、先輩も呼んだんだ。その方が楽しいでしょ。」
楠田先輩の唐突な登場を、まるで建前上の理由を手っ取り早く済ませておこうとするかのように、京子が説明した。
引きつった顔を精一杯綻ばせて、愛想笑いをする。笑ってしまってから、何も出来ない自分を情けなく惨めに感じる。
席をどこにつこうかと迷っていると、先輩がぽんぽん、と、クッション席にあった水泳バッグを叩きながら、ここ由香里の席だったのね、ごめんごめん、と言い席から抜け出した。
ところが、入れ替わりに由香里が壁側のクッション席に座った途端、今度は出口を封鎖するかのように、先輩がその隣に座った。出口を封じられた、と直感的に由香里は思った。
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