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由香里だって、このような真似を進んで選んだわけではない。
しかし、正直に下着が無くなったことを部員達に打ち明けたところで、事態は却ってややこしくなるだけだという確信があった。
夏休み中の学校には先生達は殆どいない。無くなった下着は簡単には帰って来ないだろうし、その場合、替えの下着を購入してくるよう部員達に頼まなければいけないことになるが、彼女らが由香里のピンチを救うのに協力するとは思えなかった。本当に誰からも見捨てられた場合、自分がどうしたらいいのか、由香里には思いつきそうにない……。 もし下着が無くなったことを口にしてしまえば、もう誤魔化す事は出来ない――今なら、部室にいるのは先輩達だけだ。
それに、むしろ堂々と、その屈辱を平然とこなして見せることこそ、出来うる限りの唯一の反抗のようにも思えたのだ。
しかし、さすがにジーンズに両足を通した頃には、既に後悔の念に包まれていた。
――自分がやっていることが分かっているの?
つま先から全身にかけて、冷汗がじんわりと湧いてきた。
ファスナーを留めようとする手が震える。本来優しい布地で守られるべきお尻に、ジーンズのざらざらした冷たい布地がぶつかる。今すぐにジーンズを下ろしたい欲求に駆られるが、もう後戻りは出来ない……。
バスタオルで隠されていることが唯一の救いだった。もちろん由香里のやった行為は背中の先輩達にはバレバレだろうが、先輩達が由香里の大胆な行為ついて触れるきっかけをぎりぎりで作らぬことで、何とか意識を保っているのだ。
先輩達は一言も喋ることなく、ひっそりと息を潜めている。沈黙は、タイル張りの更衣室の冷たい空気、体臭や薬剤の匂いと混ざり合って、由香里の肩に、圧し掛かってくるのだった。
ふと、廊下の外に少女達のはしゃぐ声を聞いた。先輩たちが、急かすように、くすくすと笑う。
――急がないと……。
由香里はシャツに手をかけると、バスタオルの上から被ろうとした。
――あ……。
駄目だ。シャツを着るためには、肩から覆っているバスタオルを外す必要があった。だが、そうすればブラ紐の通っていない背中を見せ付けることになる……。
迷っている間に、外のはしゃぎ声が近づいている。
由香里はバスタオルの一番上のボタンを外して首周りを輪になっている部分を広げると、そこから両腕を出した。
どっと、後ろから笑いが漏れる。パニックを起こした脳に血液が集まるのを、由香里は感じた。
間抜けな格好のまま、由香里はシャツを頭に被り、腕を通した。
***
バスタオルを完全に外すのは、勇気が必要だった。
すとんと落ちたタオルの下は、一見普通の、シャツとジーンズの夏服姿だった。しかし、その胸やお尻を引き締めるはずのものは、その下には身に突けていないのだ。
後戻りは出来ない。こんな格好のまま、これから電車に乗り、家まで帰らなければならないのだ。改めて重い事実を認識し、由香里は再び混乱に襲われた。背徳感と羞恥心、そして恐怖に、息遣いが荒くなる。後ろの先輩達に、自分の鼓動が聞こえやしないだろうかと不安になる。
後悔にふけっている暇はない。この部屋から一刻も早く抜け出さなければ。
由香里は床に落ちたタオルや水着諸々をスイミングバッグに入れた。本心ではそんな余裕はなかったが、自分でもおかしいくらい馬鹿丁寧に、それらを震える手で綺麗に畳んだ。
靴下を履くと、 十六歳の気丈な少女は、後ろの先輩達に気づかれないよう、息を小さく吸った。そして唇を堅く閉じ、後ろを振り向いた。少女は、顔を俯けたりはしなかった。こんな状況でも敵に弱気を見せまいとする負けん気の強さこそが、彼女のエースたる所以だろう。
かばんを肩から提げると、出口へ歩いていく。
ようやく部屋を抜け出せるというのに、緊張は却って高まるばかりだ。由香里のロッカーは一番奥まったところにあったので、出口へ向かうには、どうしても先輩達のロッカーの傍を通らなければならないのだ。
今の惨めな境遇を作り出した張本人達のすぐ傍を歩かなければならないことを思うと、心臓が爆発しそうだった。
恐怖だけではない。
先輩達への、そして彼女達に対して何も出来ない自分への怒りが、この訴えかけるような心臓の鼓動の源だ。
――絶対、ただじゃ済ませない……。今は何も出来ないけれど、このまま馬鹿にされる一方で終わらせるものか……。
先輩達の顔から目線を逸らすわけでもなく、かといって睨みつけるわけでもなく、ただ視線の先にあるスライド式のドアをぼんやりと眺めるように意識した。三人の先輩達はどうやらとっくに着替えを済ませて、待ち伏せるかのように出口へ向かう道の両側の壁やロッカーにもたれかかっていた。
なるべく弱気を見透かされないように、震えをこらえながら歩いていき、とうとう、先輩達のすぐ目の前まで来た、そのときだった。
「雨宮さん」
……楠田先輩だ。
***
由香里はそのまま廊下へ飛び出し、呼び止める声を聞くまでも無く早足で角を曲がる。いつもより隙間の大きいジーンズは走るたびにずり下がり、めくれたシャツからその空洞が見えそうになるので、落ち着かない。
校門を出てしまうと、先輩達の視界から逃れたという安心感からか、少し心が軽くなった。足を緩めると、どっと疲れが沸いてくる。息を切らしながらも、駅への歩を歩めるのは止めない。さすがに先輩達も追ってくることはないだろうが、早く電車に乗りたかった。
夕暮れの街を黙々と歩く。スイミングバッグの紐をお守りか何かのように握り締めて、神経を尖らせながら。
楠田先輩達の視線から逃げ出しても、下着を身に着けていないことの不安は消え去ることは無かった。
ジーンズの堅い感触は腰周りを刺激し続ける。くびれにできたジーンズとの間の隙間に外気が流れ込む。まるで、透明な大きな手で掴まれているようで、落ち着かなかった。
歩くたびにジーンズが徐々にずり下がっていく。ちょっと気を抜けば、腰骨からすとんと落ちてしまいそうだった。
ブラの支えを失って垂れ下がった胸は垂れ下がり、しかし十七歳の若さによって、その変形をやや扁平になる程度に留めた。薄手のシャツは胸にぴったりと張り付き、胸に拭き残した湿気でうっすらと斑な模様を浮かべている。
由香里は体をこわばらせた。前方の上り坂の頂上に、こちらへ向かってくる人影を見つけたのだ。逆光で顔は良く見えないが、中学生ぐらいの男の子で、学校はとっくに終わったのだろう、私服を着て、大きな体躯の柴犬の手綱を握っている。赤いブロックの歩道に沿って、由香里と人影は徐々に近づいていく。
由香里は歩幅を緩めてしまう。ジーンズが随分ずり落ちているような気がしたが、自分の格好に気付かれるのではと不安で、由香里はそのままうつむきながら歩いていった。
少年の影を視界のはしで捕らえて、由香里は足を早めた。
そして、柴犬が、すぐ脇を通るのを気配で感じた。
通り過ぎたと思った瞬間、突然、犬の動く気配を感じた。犬はグルリと方向転換し、由香里に顔を押し付けるように近づいてきた。
「きゃっ……!」
声にならない悲鳴を上げて逃げ出した。
犬は舌を出したまま由香里を追いかけようとした。だが、結局は手綱に阻まれ、少年に引っ張られるようにして去っていった。
動揺は、しばらく静まることが無かった。
――あの犬は、動物の本能のようなもので、わたしの秘密を見抜いちゃったのかも……。
それから由香里は、人とすれ違う度にそのような妄想に駆られるのだった。結局駅にはたどり着けたものの、学校からの道のりはいつもよりうんと長く感じた。
***
末尾車両の壁に、由香里はもたれかかっていた。
背中は壁で、体の前面はカバンで体を挟んで、極力人に触れぬよう……由香里の必死の抵抗だった。
恐怖の対象は触れられることだけではない。仕事帰りのサラリーマンや親子連れ、そして同じ学校の学生達といった乗客たちに、自分の格好を見透かされているのではないかという、そんな妄想。近くの席のサラリーマンが咳をしたり、学生達がはしゃいでいたのが、すっと静かになったりする度に、どきりとしてしまう。
電車の揺れにかき乱されるように、不安の渦はむしろ肥大化していった。何か、見落としてはいないだろうか。
下着……盗まれた下着は、どこに行ったのだろう。きっと先輩が持っているに違いない。そう、由香里の大切な部分を、つい先ほどまで覆っていたショーツは、今や、頼りない布切れとして先輩達の手中にあるのだ。
由香里が身につけていたのは、水色の可愛らしいローレグのショーツだった。白以外の下着は建前上校則違反だが、由香里に限らず殆どの生徒は自由に柄や色を選んでいた。
なかには、生徒達の間で見せ合うようなことも行われたほどだが、さすがに真面目な由香里はそんなことをしたことは一度も無い。由香里にとって、他人に下着をまじまじと見られるのは、同性であろうと恥ずかしいことだった。
だからこそ、下着を奪われた今の状況に、押しつぶされそうだった。何せ、先輩たちに見られてしまうのは柄や色だけではないのだ。先輩達がその気になれば……由香里の最も秘せられた部分に直に触れる部分さえも……。
そのことを思うと、顔から血の気が引いた。
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